宇都宮商工会議所の歴史
会報でみる130年

宇都宮商工会議所ニュース

『宇都宮商工会議所ニュース』と戦後の歩み

 「会報でみる130年」の3回目は、戦後発行された『宇都宮商工会議所ニュース』の記事をご紹介します。

 昭和31年8月から発行された会報「宇都宮商工会議所ニュース」(以下「会議所ニュース」)は、明治時代に発行していた「宇都宮商業会議所月報」(以下「月報」)と同様に、ニュースやコラム、告知事項、さまざまな統計資料などを掲載していました。
 現在、当所には昭和43年3月発行の第58号までが残っています。一部しかない号もありますが、それらのバックナンバーは当時を知る資料として、全てWEB 天地人で閲覧が可能です。
 記念すべき第1号には当時の栃木県知事や宇都宮市長から祝辞が寄せられているほか、上野小七・第11代会頭(昭和29~36年)のあいさつが掲載されています。
 上野会頭は明治28年に創業した油屋呉服店(後の上野呉服店)の2代目で、昭和4年に北関東最初の百貨店「上野百貨店」をオープン、宇都宮市を代表する企業に成長させた経営者でした。
 第1号に掲載された会頭のあいさつは、宇都宮商工会議所の存在意義や役割について、会員企業にもう一度強く訴える内容でした。

「宇都宮の商工業者に問う」 会頭 上野小七

第11代会頭 上野小七
<第24期~第26期>
昭和29年5月~昭和36年6月
第一号に掲載された上野会頭のあいさつ

【要旨】
 終戦直後に宇都宮商工会議所が復活し、宇都宮市の経済発展のために大きな役割を果たしてきました。
 会議所は、会員の皆さまのための団体です。しかし、会員の皆さまには問題意識と、それを一緒に解決する熱意を持っていただかなければ、市経済の発展は望めないでしょう。
 商人は、つい直接の利益を産むことにばかり熱心になりがちです。しかし、大局を見ることも重要です。まもなく国鉄(現JR)は宇都宮まで電化します。そうなれば宇都宮市のように代表的な産業も物産もない消費地は、顧客を中央に取られてしまうでしょう。それを防ぐには全市が一丸となって団結し、市の商工業の発展を計らなければなりません。
 私ども宇都宮商工会議所は六十年以上の歴史を持ち、日本の商工会議所の内でも古参の会議所です。しかし現在は所舎も老朽化し、会員の皆さまからの会議所への注目も薄いように感じています。
 皆さまには愛市の精神を発揮して、宇都宮商工会議所にさらなる力を与えてくださいますようお願いいたします。

 上野会頭は昭和34年2月発行の第6号にも「重ねて宇都宮の商工業の皆さまに訴える」という一文を寄稿。同趣旨の訴えを綴っています。
 大きな社会・経済トピックが起こるたびに、商工会議所の重要性が語られてきました。昭和31年のこの文章も、現在の経済界につながるものがきっとあると思います。

 「会議所ニュース」には、ビジネスにとって有益な情報が多く掲載されていました。マスメディアが未発達だった時代に、会員へ知識や情報を提供する役割を果たしていたのです。
 現代でも「賃上げ」問題は大きな注目を浴びますが、当時も同じような課題があったようです。筆者の町田一郎氏(明治35年~平成4年)は昭和2年に東大を卒業後、三菱銀行に入社。常務取締役で退職したのちは財団法人三菱経済研究所長に就任した経済人でした。

「ヨーカン働きとカステラ働き」 財団法人三菱経済研究所  所長 町田 一郎

【要旨】
 日本人の賃金は欧米と比較して低いため「欧米並みの賃金を」と言われることがある。しかし、生産性にも違いがある。欧米人は、労働時間は契約で雇用主に売り渡したと考え、だからその時間の間は脇目もふらずに働く。その代わり余暇はきちんと取り、勤務時間外労働は割り増しを要求する。
 ところが日本人は経営者・従業員ともに、労働時間の売買とは考えない。与えられた仕事を完遂することが条件で給料が出る。だから勤務時間中に少々私用をはさんでも問題はないし、逆に超過勤務や残業にも対価を請求しなかった。
 欧米の働き方は、勤務時間中はヨーカンのように仕事でいっぱいに詰まっている。日本の働き方はカステラのように、仕事の合間に私用という空気が混じってはいるが、その代わり長さを伸ばしている。欧米と日本では働き方の本質が違っているが、このどちらが優れているかは簡単に比較はできない。
 しかし戦後は日本にも欧米流の働き方が浸透してきた。経営の考え方も、カステラからヨーカンに対応しなければいけないのだが、そこができていない経営者が多い。今こそ、経営者の自覚と奮起が必要である。

 さて、「会議所ニュース」には政治家からの寄稿もありました。どちらも昭和期に首相を務めた田中角栄氏と中曽根康弘氏です。
 田中氏は運輸大臣時代の昭和42年9月20日発行の第54号に「これからの都市政策」を、中曽根氏は運輸大臣時代の昭和43年2月20日発行の第57号に「二百年の初心」を、それぞれ寄稿しています。
 田中氏はその後『日本列島改造論』を発表して政策を掲げ、首相に就任。また中曽根氏は日本民族の精神を重視した政治活動を行いました。
 将来の首相と目された政治家の寄稿が掲載されたのは、商工会議所の存在が大きくなっていた証ではないでしょうか。

「これからの都市政策」 自民党都市政策調査会長 田中 角栄

【要旨】
 都市問題はいまや政治の焦点である。狭い国土・乏しい資源・膨大な人口というわが国の宿命を逆利用して、均整の取れた国土全体の発展を実現しなければならない。二十年後、三十年後のわが国の混乱を防止できる、計画的な国土の再編成を考えなくてはならない。その計画の基調をどこに置くかで、将来が決まるだろう。
 大都市の都市改造のカギは高層化、立体化である。土地の利用度を上げるなどで実質的に地価を下げることだ。私権より公益を優先することで、私益が確保される発想転換が必要である。

「二百年目の初心」中曽根 康弘

【要旨】
 まもなく明治維新から百年目を迎える。明治の人々の初心は「西洋に追いつく」「アジアの独立」だった。これらは見事に達成された。
 これからの百年で達成すべきは「世界の新しい文明推進の指導国家となる」「世界の平和を守る」「アジア・太平洋の繁栄と発展に寄与する」の3点であると考える。
 日本は明治維新以来二百年目のスタートラインに立った。日本人の新しい理想を掲げて、一億の民族大行進を始める時が来たのである。

 今回は明治期の会報『宇都宮商業会議所月報』の記事についてご紹介しました。
 今回ご紹介した記事以外にも、当時の世相がわかる記事が「月報」にはたくさんあります。
 WEB天地人のバックナンバーでも公開していますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。