宇都宮商工会議所の歴史
会報でみる130年

宇都宮商業会議所月報②

 

『宇都宮商業会議所月報』でみる大正時代の始まり

 会員の皆さまにお届けしている会報誌。今回は「宇都宮商業会議所月報」の中から、明治の終わりから大正の始まりにかけて当時の世相がわかる記事をご紹介します。

明治天皇の崩御

 明治天皇の崩御は1912(明治45)年7月30日。その後、明宮皇太子が践祚(せんそ)し、元号も大正に変わりました。
 月報では同年8月25日発行の第110号で明治天皇の崩御を伝えるとともに弔意を示し、その偉業を称える記事を掲載しています。

明治の大業

 明治天皇が治めた45年の間、我が国の発展、富力の増進は著しいものだった。明治天皇在位中における国力進歩の著しいものを掲げる。

1 領土と人口
 沖縄の編入や日清戦争、日露戦争によって樺太島を回復、朝鮮も併合して明治初年と比較して約2倍となり、人口も併せて2倍となった。

2 財政
 歳入歳出ともに3000万円程度だったが、日露戦争の後は歳入が8億5700万円、歳出が6億200万円の巨額に達し、20倍の激増を示した。

3 軍備
 陸軍は東京、仙台、名古屋、大阪、広島の5師団だったが、日清戦争後は12師団に増加し、日露戦争後は18師団に増えた。
海軍は艦艇16隻、総排水量6000tから124隻49万6600tまで増加し、陸海軍の軍備費も著しく膨張した。

4 教育
 明治で最も注力したものは教育事業で、明治初年と比較して各種学校は3倍に増え、教員数と生徒数も5倍と全国に教育を普及させた。

5 外国貿易
 外国貿易の発展については著しいものがあり、明治初年は輸出入額が2624万円だったものが、日露戦争の後は9億6886万円にまで増え、実に36倍にまで増えた。

6 運輸交通
 鉄道は明治5年に初めて京浜間に蒸気機関車が走行したが、その後朝鮮や満州などにも敷設されるまでに至った。汽船は35隻1万5000tから1225隻150万tまで増え、偉大な発展を遂げた。郵便は明治5年の受付数251万通だったが、明治43年には15億4052万通にまで増た。電信も8万1000 通から、2979万通に増えた。

米国の日本移民排斥運動

 1913(大正2)年に、米カリフォルニア州が外国からの移民を制限する法律「外国人土地法(いわゆる『排日土地法』)」を施行します。アメリカ合衆国との通商関係が増進する中で、「日本人を対象とした排日法案だ」として国内では大きな問題となりました。
 これに対して全国商業会議所連合が同年4月23日から4月25日の3日間に渡って臨時大会を開催し、米国に電報で決議文を送りました。当時から全国の商業会議所が連携して、政治経済に対してアクションを起こしていたようで、これは「月報」の同年4月25日発行の第117号でも大きく取り上げており、「加州知事」「米国大統領」「ワシントン市合衆国商業会議所」「オークランド太平洋沿岸連合商業会議所」に送った決議文をそれぞれ全文掲載しています。

全国会議所大会

 カリフォルニア州知事宛

 本国全般の公論を代表し、カリフォルニア州における形勢において討議するため、東京において特別連合会を開催した。全国商業会議所の代表者は、実質日本人にのみ偏向的なこの法律をカリフォルニア州で制定すれば、日米間の交流を害し、増進しつつある通商関係を損なうものである。
 故に一同は前述の事情を州知事に陳情し、州知事の公明にして思慮のある御尽力により、解決できることを期待する。

宇都宮商業会議所二十周年

 1893(明治26)年8月に宇都宮商業会議所が設立を認可されました。それから20年を経て、1912(大正元)年11月付第113号では設立20周年特集号でした。会議所設立までの経緯と設立後の役員・常議員の変遷についての記事「回顧」や歴代会頭・常議員の写真などが掲載されました。
 続く第114号では、同年11月10日に開催された「創立満二十年紀念祝典」の様子が報告されています。
 「店員職工表彰式」は、現在の「優良従業員表彰(永年勤続表彰)」につながる事業と思われます。残念ながら式典の写真はありませんが、映画が上映されるなど盛大な式典だったことがうかがわれます。

創立満20年紀念祝典と店員職工表彰式概況

 先月(11月)10日、「創立満二十年紀念祝典」と、店員や職工およびそれに準じる者を対象とした「満十年以上勤続者表彰式」を行った。
 万事に手落ちが無いよう、式の三日前に総務委員会を開いて諸般の打ち合わせを行い、関係者は毎日早朝から来所して準備を行った。
 式場と堂の設備の装飾や、門前や玄関入口を国旗や紅白幔幕で飾り付け、庭の中央には高々と国旗掲揚、そこから八方に万国旗を設え、門の南は来賓用、北は勤続者表彰受賞者用の受付ためにテント張った。
 建物の南庭に式場を設営し、来賓の休憩所は市役所楼上、受賞者は屋内の議事室とした。
 議員一同、手分けして来賓や受賞者の接待を行い、当日は午前11時に式典を開始。上野松次郎会頭の式辞や栃木県知事など来賓の祝辞、受賞者代表からの答辞などが披露され、12時頃に閉会。午後1時からは活動写真(映画)を上映し、盛況を呈した。

 今回は明治期の会報『宇都宮商業会議所月報』の記事についてご紹介しました。
 今回ご紹介した記事以外にも、当時の世相がわかる記事が「月報」にはたくさんあります。
 WEB天地人のバックナンバーでも公開していますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。